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人植学会コラム・書評

「植物の方が偉い」という姿勢

平 智(山形大学名誉教授)

 人間・植物関係学会には発足当初から参画してきました。当時はまだ文理融合的な学際分野の認知度は低く、その評価もさほど高くなかったと思います。けれど、将来的に人の暮らしにとって大切な総合科学的な学問分野になるに違いないという、それほど具体的な根拠のない確信はありました。今もなお、それは十分現実になっていないかもしれませんが、確実にその方向に向かっていくのではないかと感じています。

 長く専門にしてきた果樹園芸学や園芸利用学に軸足を置きながら、果物と人との関わりについて考えようと努めてきました。果物観の比較や渋ガキの伝統的な脱渋法の調査、庭先果樹の調査やドイツのクラインガルテンに見る人と園芸植物との関わりに関する調査は、そのような観点から実施したものです。そのほか、民話や童話、古典や随筆、短歌やことわざ、熟語や俳句の季語などに登場する果物や野菜について、それらの種類や登場頻度などを調べて人との関わりについて考察してきました。いずれも私たちがどのような果物や野菜とどんなふうに付き合ってきたのかを知りたいという興味からでした。

 植物たちは光合成という「奇跡」によって、空気中の二酸化炭素の炭素を糖という有機化合物に変え、それを自らの栄養分や身体を作る材料にすることができます。つまり、植物は他の生命体に頼ることなく生きていくことができます。そればかりか、光合成は酸素も作り出します。私たちは、生きるために必要な栄養や酸素を作り出す能力を持っていません。すなわち、人間を含む動物は植物の存在なしには生きていくことができません。どう考えても「植物の方が偉い」のです。そう納得するのと同時に、植物と人間の切り離し難さを再認識させられます。

 現代社会ではしばしば植物の新しい有効利用法が検討され話題になります。食品やサプリメントしかり。医薬品しかり。最近はオフィスをはじめ、ビルの屋上や壁面の緑化なども盛んです。植物たちのこれまでになかった新しい利活用法を検討する際、私たちは知らず知らずのうちに、私たちの暮らしに有用な植物を上から目線で利用するという姿勢をとってはいないでしょうか。本当は「植物の方が偉い」のに…。

 人間と植物の関係性を学ぶとき、「本当は植物の方が偉いのだ」という姿勢で向き合うことがすごく大切なことではないかと思います。そういう姿勢で植物に敬意を抱きながら学び研究を進めることが、結果的に、かけがえのない植物たちを護り、生態系を保全し、ひいては地球環境の修復にもつながっていくのではないかと感じてなりません。

 人間・植物関係学の新しい、未知のテーマや課題はこれからもさまざまな場面で見つかり続けることでしょう。そのような時代を生き抜いていく若手の研究者や学生のみなさんが、それらをすくい上げ、じっくり調べ、これからあるべき関係性のあり方を探求していくことを楽しみにしています。「植物の方が偉い」という姿勢で…。

*文中に紹介した報告はいずれも人間・植物関係学会雑誌あるいは農業および園芸誌に発表したものです。(2025年3月5日記)